日本歴史地名大系ジャーナル 知識の泉へ
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第132回 葉山・羽山・麓山、そして端山

2017年07月07日

葉山・羽山・麓山と記し、いずれも「はやま」とよみます。意味としては「端の山」にあたり、ジャパンナレッジ「日本国語大辞典」の「はやま【端山・麓山】」の項目は、次のように記します。

山なみの中で、人里近い低山。端近い小山。奥山や深山に対していう。

古代日本の中心であった奈良盆地でいえば、南東部に位置する三輪山みわやま(大和高原西南端にあたる)や南西部に位置する二上山にじょうさん(金剛山地の北端部にあたる)などは、「奥山や深山に対していう」端山・麓山にあたるでしょうか。

ところで、東北地方南部には、それこそ「人里近い低山。端近い小山」に葉山神社(葉山社)・羽山神社(羽山社)・麓山神社(麓山社)を祀っているところが多くあり、いずれも「はやま」とよんでいます。

ジャパンナレッジ「日本歴史地名大系」で「はやま」神社(「はやま」社)の分布状況を調べてみますと、見出し検索では、宮城県宮城郡松島町の葉山神社、山形県長井市の葉山神社、福島県耶麻郡猪苗代町の麓山神社の3件がヒット、数はそれほど多くはありません。

宮城県松島町の葉山神社。里近い低山に鎮座する。

そこで全文検索で、「はやま」神社・「はやま」社の出現件数を調べてみました。それ以外の地域と比較するために、宮城県・山形県・福島県の3県を南東北と規定(他の東北3県は北東北としました)、また、ヒットした五葉ごよう山神社・稲葉いなば山神社・二葉ふたば山神社などは件数から除外し、古墳名などもカウントしませんでした。

はじめに「葉山神社」と「葉山社」の分布状況は次のようになります。

北東北3(岩手3)
南東北13(宮城6・山形5・福島2)
九州1(鹿児島1)

同様に、羽山神社・羽山社では、

北東北2(岩手2)
南東北18(宮城5・山形1・福島12)
中部1(静岡1)
九州3(福岡1・佐賀2)

最後に麓山神社・麓山社は、

北東北2(岩手2)
南東北18(福島18)
関東1(栃木1)
中部1(静岡1)

となりました。端山神社・端山社はノーヒットです。葉山・羽山・麓山の合計は、

北東北7
南東北49
関東1
中部2
九州4

となりました。近畿・中国・四国では確認できず、圧倒的に南東北(および周辺)に偏在していることが確認できたと思います。

これら「はやま」神社の信仰形態について、ジャパンナレッジ「世界大百科事典」の【葉山信仰】の項目では次のように記します。

東北地方南部を中心に分布する作神的性格をもつ信仰。葉山は端山,羽山,麓山などと記されるが,奥山や深山(みやま)に対する里近くの端山を意味する。多くは村はずれの山の上に小祠を設けてまつられ,祭神を羽山祇神,少彦名(すくなびこな)命とし,薬師如来を本地と説く。山形県村山市の葉山からの勧請(かんじよう)をいう社もあるが,葉山修験との直接の関係を示す史料は見いだせない。葉山信仰の特徴は作占における託宣儀礼にある。祭礼は春秋に行われるが,作神信仰なので春は豊作祈願,秋は豊作感謝の性格を示す。
(中略)
福島県下には,類似の習俗に〈地蔵つけ〉と呼ばれる憑依,託宣儀礼も報告されており,かごめかごめの童戯にその信仰のなごりをとどめている。山形県米沢市笹野では同様の儀礼が〈山の神祭〉として4月17日に行われ,ノリウマという憑巫をたてて作占をする。普通の村人が,はやしたてられて憑依し,託宣をするところに葉山信仰の古態がある。地域の作神,山の神信仰をもとに,修験道の影響により今日の葉山信仰が展開したと考えられる
(中略)
宮城県気仙沼市赤石,白石市白川の羽山神社などでは〈ゴンダチ祝〉と称し,7歳のときにお山がけして一人前,一人だちするという通過儀礼にも結びついている。また葉山には,山と里を結ぶ接点として祖霊のいます山としての観念もみうけられることは注意すべきである。

「山形県村山市の葉山からの勧請をいう社もあるが,葉山修験との直接の関係を示す史料は見いだせない」との記述がありますが、「葉山信仰」の一中心であった山形県の葉山について「日本歴史地名大系」の【葉山】の項目は次のように記します。

寒河江市の北端、村山市・最上郡大蔵おおくら村との境界線上にあり、標高一四六一・七メートル。出羽山地に属し、月山の東方約一七キロの位置にある。成層火山であるが、その後の水蒸気爆発により爆裂火口が生じ、山頂尾根筋は東に開口する馬蹄形山稜をなしている。火口底から富並とみなみ川が源を発し、東流して最上川に注ぐ。古くから信仰の対象とされた山で、近世には葉山権現の諸堂宇・坊が白岩しらいわ村枝郷はたrt>集落の東方約一・四キロにあった。現在は山頂に葉山神社(明治一四年建立)がある。
(中略)
葉山は当初羽山と称し、大宝二年(七〇二)役小角の弟子行玄が葉山に入峰修行して地主権現を拝し、山腹に社殿を建立したという(前掲古縁起校定)。葉山の地主神は農耕と水利をつかさどる農業神として崇敬されてきた。例年旧暦六月一日の苗代祭には葉山権現別当大円だいえん院に詣でて虫札を受け、それを田の水口に立てて蝗害を除くことを祈念した。また旱魃の年は雨乞の行事が行われ、水利の不便な所には葉山権現の碑が建立された。
(後略)

なお、同項目によりますと、古く「出羽三山」は「羽黒山」「月山」「葉山」の三山であったといいます(のちに羽黒山・月山・湯殿山)。標高1500メートル近い山形県の「葉山」は、「人里近い低山。端近い小山」とはいえませんが、月山を中心にみれば「人里近い低山」となるのでしょうか。また、葉山の本地仏は薬師如来とされていました。

山形県の中央部にそびえる葉山。馬蹄形の爆裂火口がよくわかる。

これまでの記述を筆者なりにまとめてみると……葉山信仰は農耕神(田ノ神)と端山を媒介とした祖霊神(山ノ神)の両方の性格をあわせもっている、山形県の葉山を活動拠点とする葉山修験が広めた信仰もあるが、この葉山修験とは関係の薄い、それぞれの在地に根付いた信仰も多くみられ、それらは地域毎に特色を有している……といったところでしょうか。

ここで横道にそれますが、「はやま」神社の祭神とされる少彦名命(仏教の薬師信仰が広まるとともに、薬師如来と習合)に着目してみましょう。「日本歴史地名大系」の全文検索で「少彦名命」の出現件数を地方別で調べてみると、以下のようになります。

北海道・北東北=47件
南東北=19件
関東=56件
中部=69件
近畿=60件
中国=44件
四国=26件
九州・沖縄=28件

全国にほぼ満遍なく分布していること、北海道・北東北と比較すると、南東北はさほど多くはない、といったことがわかります。意外といえば意外です。

全国に展開する「少彦名命」と少彦名命を祭神として南東北に偏在する「はやま」神社の分布、この乖離を埋めるキーワードは何か?

じつは、筆者に一つの考え(妄想)が浮かびました。それは熟蝦夷(にぎえみし=「和蝦夷」「田夷」などとも記す)です。ジャパンナレッジ「国史大辞典」の【蝦夷】の項目には次のような記述が見えます。

蝦夷をその熟化の度合、つまり中央化の程度によって区別する場合があった。それが、麁蝦夷(あらえみし)・熟蝦夷(にぎえみし)の別である。

山ノ神が春になると里へ降りてきて田ノ神となり、秋の収穫を終えると山に帰る、という信仰は標準的・一般的であり、全国津々浦々でみられます。しかし、その両神が同一の祠堂に祀られている、というのは珍しいのではないか? との思いが浮かびました。

古代日本のある時点において、採集狩猟中心の生活(「山ノ神」の生活)を放棄し、大和王権の政策を受容(耕作農民化)して、「にぎえみし」と把握された人々の生活圏と、田ノ神と山ノ神の性格をあわせもつ「はやま」神社の分布が重なり合うのではないか、と推量した次第です。

ここまで「日本歴史地名大系」の全文検索を活用して確認してきた「はやま」神社の地域的な偏在、という事象は間違いのないところです。しかし、この偏在は「にぎえみし」の分布と重なり合うという考え(妄想)は検証が一切なされていません。法螺・与太話で終わる可能性も非常に高いといえるでしょう。その点は何卒お含み置きください。

(この稿終わり)