先々回、先回は「梅」をめぐっての話題でした。そこで、今回は「サクラ」を取り上げましょう。ただし、花の「桜」地名については、50回・51回(2011年4月・5月更新)の「花の名所は桜川」で少しばかり触れましたので、今回は花の「桜」以外の「サクラ」地名です。
「地名の語源」(角川小辞典13)によれば、花の「桜」を除いた「サクラ」地名は、狭間を表す「サク」に関連するといいます。ほかに接頭語の「サ」+谷を表す「クラ」とする池田末則氏(日本歴史地名大系「奈良県の地名」監修者)の説を紹介しています。「サク」+α、「サ」+「クラ」いずれにせよ「谷間の小平地」といった地形になると考えられます。
ジャパンナレッジの詳細(個別)検索で「日本歴史地名大系」を選択、まず、「さくら」と入力し、次の入力窓に「次を含まない(NOT)」の条件で「桜」と入力して検索をかけますと(いずれも見出し・部分一致)、87件がヒット。
87件のうちには、「朝倉」「浅倉」の「アサクラ」地名、「笹倉」「篠倉」の「ササクラ」地名も含まれており、これらを除くと、「サクラ」地名の表記は「佐倉」「佐久良」「作良」といったところであることが判明します。
はじめに「佐倉」の表記から。「佐倉」と聞いて、皆さんが一番先に思い浮かべるのは義民「佐倉惣五郎」で名高い千葉県の「佐倉市」ではないでしょうか。佐倉市の市名のもととなったのは近世=江戸時代の佐倉城下です。しかし、それより以前、中世の佐倉(本佐倉)は、江戸時代の佐倉城下より少しばかり東方、現在の
中世の佐倉は、15世紀半ば以前から史料に現われ、「作倉」などとも表記されます。15世紀後半には千葉氏本宗家の居城である佐倉城(本佐倉城)が築かれ、城下も形成されていました(以上、「日本歴史地名大系」)。一帯の地形は、印旛沼南岸の台地と、これを開析した樹枝状の谷が展開する、まさに「サクラ」地名に適った地形であるといえるでしょう。
妙見神社のすぐ北に中世の佐倉城(本佐倉城)跡がある。
さて、千葉県の「佐倉」関連以外では、以下の7箇所で【佐倉村】の項目(「日本歴史地名大系」の基本である村項目)が立項されています。ただし、福島県
宮城県
茨城県
静岡県
三重県
兵庫県
奈良県
広島県
これら7箇所の「佐倉村」のうち、三重県四日市市の「佐倉村」は、現在地名では「
篠山市の「佐倉地区」は黒岡川の谷口集落的な立地を呈する。
続いて「佐久良」「作良」表記の検証にうつります。まずは「佐久良」から。「佐久良」と入力して検索(見出し・部分一致)すると、岐阜県
これらのうち、白川町の「佐久良田神社」は神社項目(旧社名は白山神社)、菟田野町の「佐久良」は、先述菟田野町の「佐倉村」に継承される中世地名ですので除外します。残された日野町の「佐久良村」は、佐久良川(琵琶湖へ注ぐ日野川の支流)の谷口集落ともいえる立地で、「谷間の小平地」の条件に合致しているといえます。しかし、明治期に入ると「佐久良村」を含む佐久良川の上・中流域諸村は合併して「
最後に「作良」表記の検証です。同じく「作良」と入力して検索(見出し・部分一致)すると、尾張国
この「桜村」は現在の名古屋市南区
港区の「作良新田」は、古くは「
ここまでの検証結果をまとめますと、「桜」以外の表記が用いられた「サクラ」地名は、谷間に発達した集落や耕地を指すことが多いことがわかりました。しかし、その一方で「桜」「佐倉」「佐久良」「作良」の表記は互いに通じ合っており、「桜」と書いて「谷間」に関連していたり、「佐倉」と記して花の「桜」に関連していることも一概には否定できないと思われます。
ところで、古代・中世の「作良郷」が形成された名古屋市笠寺台地の周囲には、かつて海が入り込んでいたといいます。台地は島の様相を呈し、台地近辺で海は干潟となって「
羈旅の歌を得意とした万葉歌人
(この稿終わり)