温泉地に限ったことではなく、(温泉もありますが)紅葉の名所として広く知られる
ジャパンナレッジ「日本国語大辞典」の【奥座敷】の項目には「家の奥のほうにある座敷」という語釈はありますが、前掲の「○○の奥座敷」といった使い方の解説は載っていません。
一方で、ジャパンナレッジ「デジタル大辞泉」の【奥座敷】の項目は
1 家の奥のほうにある座敷。⇔表座敷。
2 (比喩的に)奥まった土地。特に、都市部の近郊にある温泉地などについていう。
と記しており、2の解釈が前掲の用法にあたります。ただし、「日本国語大辞典」に採用されていないということは、比較的新しい使い方と思われます。
観光地の情報も多く記載するジャパンナレッジ「風俗画報」(明治22年~大正5年)の全文検索で「奥座敷」はゼロヒットでした。意外です。ジャパンナレッジ「週刊東洋経済デジタルアーカイブズ」(明治28年~)では、昭和36年11月4日号の「東京だより」で「熱海温泉」を東京の奥座敷とよんでいる記事が比較的早い用例となっています。
「日本書紀」にも登場する有馬温泉は大阪・京都・神戸の奥座敷。
そこで、ジャパンナレッジ「日本歴史地名大系」で温泉を対象とした奥座敷の用例を調べてみることにしました。ジャパンナレッジの詳細(個別)検索で「日本歴史地名大系」を選択、入力欄にはまず「温泉」と入力(範囲・見出し、条件・部分一致)、次に「かつ(AND)」でつないで「奥座敷」を入力(範囲・全文)します。検索をかけると10件がヒット、スニペット表示などで確認すると、前出の湯河原温泉や有馬温泉を除いて、以下の温泉が「奥座敷」と称されていることがわかりました。
ほかにも「○○の奥座敷」とよばれているような温泉地は全国に数多く存在すると思いますが、「日本歴史地名大系」の検索で判明したのは上掲の温泉地でした。
ところで、この検索で上掲のほかにも一つ面白い温泉がヒットしました。それは山形県
肘折集落にあり、
出羽三山の主峰、月山の北東麓、葉山の北麓にあたる肘折温泉は、古くから羽黒(出羽三山)や葉山の行者たちが利用し、現在もテレビの秘湯紹介番組などで、たびたび取り上げられています。この【肘折温泉】項目の最後部に次の記述がありました。
全国の伝統こけし一〇系の一つとされる肘折こけしは、文政二年(一八一九)生れの柿崎酉蔵が若い頃
月山の山懐に抱かれた肘折温泉とその西方に位置する黄金温泉。
肘折集落西方の金山集落、かつての大蔵鉱山の近くにある黄金温泉は、肘折温泉の「奥座敷」にあたるというのです。
一般に温泉・行楽地が「奥座敷」と称される場合、その対となる「表座敷」は都市(都市的空間)が担っており、都市とその都市民が利用する温泉・行楽地がワンセットとなっています。しかし、肘折温泉の場合は肘折温泉が「表座敷」、その西方に位置する黄金温泉が「奥座敷」というわけです。つまり、表座敷・奥座敷を含めた「屋敷」全体が温泉で構成されています。現在、黄金温泉は肘折温泉郷に含まれていますから、肘折温泉郷が屋敷に相当するということになります。
似たような例で、奥湯河原温泉が湯河原温泉の奥座敷とよばれることがあります。しかし、奥湯河原温泉を訪れる観光客の主体は、湯河原温泉と同じく、あくまでも東京(首都圏)の都市民です。
肘折温泉郷にもっとも近い都市的空間(表座敷)といえば、山形県最上地方の中心都市である新庄市ですが、じつは、同市の奥座敷に相当するのは、一般的に
元来、肘折温泉利用客の主体は東北・関東を中心とした羽黒信仰の信者たち。その信者たちのなかでも、物見高い連中が一歩奥まで足をのばして訪れたのが黄金温泉……こんな構図があって、黄金温泉が肘折温泉の「奥座敷」とよばれるようになったのではないでしょうか。
(この稿終わり)