日本歴史地名大系ジャーナル 知識の泉へ
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第147回 「石高」とは……関係ない

2018年10月05日

金沢といえば「加賀百万石」の城下町として夙に知られています。ほかにも俗に、薩摩藩島津氏77万石、仙台藩伊達氏62万石、会津藩松平氏23万石などと(石高は必ずしも正確ではない)、江戸時代の大名の勢力を示す基準として「石高」が用いられます。ジャパンナレッジ「日本国語大辞典」は「石高」について次のように記します。

その土地の農業生産力を米の量に換算して表示したもの。また、田畑の租税負担能力を高で示したもので租税割当の基準となるもの。天正・文祿(一五七三〜九六)のころ、秀吉のいわゆる太閤検地から始まった。

また、ジャパンナレッジ「世界大百科事典」の【石高制】の項目に「土地の標準収穫量である石高を基準にして組み立てられた近世封建社会の体制原理をいう」とみえるように、江戸時代は大名の大小を表すだけではなく、何事も「石高」を基準に社会が組み立てられていました。

ですから、【千石夫】=江戸時代の課役の一つ。知行高千石につき一人一か年の割で徴用される役夫をいう(日本国語大辞典)、【三十石船】=江戸時代、淀川を上下した過書船(かしょぶね)の三十石積の船。とくに乗合船として伏見・大坂八軒屋間を往復した人乗せ三十石船は、利用度が高く、一日二回上下し、船頭四人、乗客二八人を定法とした(同上)など、「石高」に関連する用語も数多く生まれています。

現在でも旧城下町の菓子舗などでは、埼玉県行田市(忍藩)の「十万石まんじゅう」(十万石ふくさや)、長野県須坂市の「信州須坂藩一万石」(コモリ餅店)、滋賀県長浜市の「長浜銘菓十八万石」(藤本屋)、同県彦根市の「三十五万石」(大菅製菓)、香川県丸亀市の「銘菓六万石」(寳月堂)、福岡県福岡市の「もなか黒田五十二萬石」(如水庵)、熊本県熊本市の「肥後五十四万石」(お菓子の香梅)など、たくさんの「石高」にあやかった菓子が作られています。

そこで、ジャパンナレッジ「日本歴史地名大系」「新版 角川日本地名大辞典」から「石高」由来と思われる地名(村名・町名)を幾つか拾い上げてみました。

●青森県弘前市・弘前城下の五十石町
  知行50石前後の藩士が住んでいたと考えられる。
●愛知県西尾市・西尾城下の百石町(「百国」とも)
  同じく知行100石前後の藩士が住んでいたと考えられる。
●滋賀県彦根市・彦根城下の百石町
  同上。
●青森県板柳町の三千石村
  一帯の荒野を3000石に見立てて新田開発を行ったことが由来という。
●新潟県分水町(現燕市)の五千石村
  一帯で高5000石の新田が開発されたことによると伝える。

ほかにも神奈川県箱根の仙石原(千石原)など、石高由来と伝えられる地名は全国各地でみられます。

ところで、東京都の区部にも文京区千石(せんごく)や江東区千石(せんごく)など、一見「石高由来」と思われる地名があります。しかし、地名の由来を調べてみると両者ともに「石高」とは何の所縁もないことがわかります。

まず、文京区の千石ですが、昭和42年(1967)の新住居表示で、それまでのはやし町・西丸にしまる町・丸山まるやま町・大原おおはら町・宮下みやした町・西原にしはら町とはら町・駕籠かご町・白山御殿はくさんごてん町・氷川下ひかわした町の各一部を合わせてできた新町名です。かつて新町域の南西境に沿って千川せんかわ上水(小石川こいしかわ)が流れており、また、新町域の過半が江戸時代の小石川村地域にあたっていたことから、千川と小石川(河川名も含めて)からとって名付けられました。

現在の千石地区の南西境をかつては千川上水(小石川)が流れていた。

一方、江東区の千石は、昭和11年(1936)にそれまでの深川区の石島いしじま町と千田せんだ町の各一部が合併して深川区千石町が誕生したのが淵源。その後、江東区の成立で深川千石町となり、昭和43年に新住居表示で江東区千石となりました(町域に変更あり)。

現在の千石の西部が旧石島町、東部が旧千田町。

小石川と千川で千石、千田と石島で千石、いずれも「石高」とはまったく縁のない町名です。旧地名から1字ずつ採用した合成地名は、古くからみられるのですが、とくに明治期以降、全国に蔓延しました。しかし、こうした合成地名では、本来の地名の意味が抜け落ちるだけでなく、まったく関係のない別のイメージを喚起させる危険性を孕んでいます。平成の大合併は終わりましたが、これからも旧地名から1字ずつを採用したような合併地名が誕生しないことをせつに願う所以です。

(この稿終わり)