今回は「塩」の字を使った地名です。塩は訓はシオ、音ではエン。地名でも塩の字はシオ、またはエンと読まれることが多いのですが、隣接する字が難読であったり、組み合わせで難読となることもたくさんあります。では、さっそく始めましょう。
(問題文をクリックすると答えがご覧いただけます)
⇒シオカラダと読みます。塩辛で一杯! お酒がすすみますネ。 それはともかく、〈塩干田〉地区は江戸時代、大内田村の支郷で、塩干田村ともいいました。1、2キロメートル西方に行くと日本海ですから、干拓による開発で生まれた地かもしれませんね。
⇒シオナシと読みます。佐田岬にあって塩(潮)がいっぱいなのに「塩無し」とはこれいかに? それはともかく、慶長年中(1596-1615)に宇和島藩主富田信高は、潮流の速い佐田岬の沖(豊予海峡)を迂回する航路として、岬のなかで最も幅が狭い塩成峠付近(幅0.8キロほど)に運河をつけようとして頓挫しました。工事の跡は現在も凹地となって残っています。
⇒シアナジと読みます。寺は応仁の乱の兵火に罹り、一部を除いて焼失しました。この頃に草創地の南方にあたる堺町(中世の堺町)の南東部、のちの新在家町寺町に移ったといいます。しかし、明治維新後に荒廃し、昭和11年、さらに南方に離れた現在地に移転しました。戦国時代には、千利休が塩穴寺に仮寓、境内に茶室実相庵を建てましたが、この庵は維新後の荒廃時に、塩穴寺の南西方に隣接し、利休の墓所がある南旅籠町寺町の南宗寺に移されています。なお、南宗寺に移された実相庵も第二次世界大戦の戦災に遭って焼失、昭和30年代に再建されました。
⇒エンペイジと読みます。武庫川支流塩谷川の上流山中にあります。『摂陽群談』によると、塩尾寺山腹から湧き出る塩水を浴びると、病はことごとく癒えたといい、この湧水は有馬温泉の余水であったといいます。現在は、六甲山縦走路の登下山口の一つになっています。
⇒カシュウと読みます。地内に塩の出る池があったことが地名の由来といいます(JK版「日本歴史地名大系」)。同じ大戸町地区にはオシュウ=小塩(上小塩・中小塩・下小塩)という地名もあります。芦ノ牧温泉の湯は塩分を含んでいますから、何か関係があるのかもしれませんね。
⇒サイソと読みます。糸魚川市の指塩=サシオの後ろ2音の「ア行」と「サ行」を入れ替えると、サイソになります。なお、いわき市の差塩は、古くは「さいしょ」ともいったといいます(JK版「日本歴史地名大系」)。地区内には、ミツガシワなどの群生地として知られる差塩湿原があります。小さな湿原ですが、5月のミツガシワ開花期の景観は、すばらしいものです。
いわき市の差塩地区。差塩湿原は写真のさらに上方(北方)に位置します。