日本歴史地名大系ジャーナル 知識の泉へ
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第160回 渋谷(しぶや)はメジャー? マイナー?(2)

2019年11月01日

先回は、渋谷の「谷 」という字は一般的な漢和辞典でみると、訓は「たに」、音は「コク」で、「や」の音はないと記しました。一方、ジャパンナレッジ「日本国語大辞典」の「や【谷】」の項目は、「やつ【谷】」に同じとし、「やつ【谷】」の項目は「たに。たにあいの地」の意で、「やち【谷地・谷・野地】」の語誌を参照せよとあり、その語誌には、

東北方言では、普通名詞として、湿地帯を意味する。関東地方の「やと」「やつ」は、現在では「たに」と同義か。しかし、「や」は「四谷」「渋谷」など、固有名詞を構成する形態素としては存在するが、普通名詞としては使われない。

などとあります――このあたりまでが、先回の考察でした。

渋谷の「谷(や)」は、「たに。たにあいの地」の意で、「(関東地方では)固有名詞を構成する形態素としては存在するが、普通名詞としては使われない」という特殊な用法(マイナー)であることが判明しました。

そこで、「日本歴史地名大系」の基本項目である「江戸時代の村」項目のなかで、「~谷村」が「たに(「だに」の濁音もある)」と読むか、「や(「やつ」「やち」「やと」もある)」と読むか、その分布はどうなっているか見てみましょう。

ジャパンナレッジの「詳細(個別)検索」で「日本歴史地名大系」を選択、検索語欄の1段目に「谷村」と入力し(後方一致)、2段目には「たにむら」の読みを入力して(後方一致)、「かつ(AND)」でつないで検索をかけてみます。同様に、2段目には「だにむら」、次いで「やむら」「やつむら」「やちむら」「やとむら」とそれぞれ入力して検索をかけてみると、次のような結果になりました。

「たにむら」、「だにむら」の読みでは、全体では「たにむら」=557件、「だにむら」=682件がヒット。地域別では以下のようになりました(左から「たにむら」「だにむら」の順)。

北海道・東北=12件、7件
関東=0件、1件
中部=178件、200件
近畿=189件、189件
中国=100件、167件
四国=51件、57件
九州・沖縄=27件、61件

となりました。「たにむら」「だにむら」の読みは、中部、近畿、中国、四国を中心とした地域が中心で、北海道・東北、関東では非常に少なく、関東は「だにむら」1件のみのヒット、九州・沖縄も項目数との比率でいえば、それほど多くはないことが判明します。

関東では非常に珍しい「~だに」地名の千葉県大原町(現いすみ市)の高谷(たかだに)地区

では、「やむら」の系統はどうか、調べてみました。ただし、「やちむら」は全体で3件(すべて石川県)、「やとむら」は2件(すべて関東)とヒット数が極端に少なかったので、替わって「~谷」を「~がい」と読む場合も多くみられることから、左から「やむら」(全体で571件)、「やつむら」(同24件)、「がいむら」(同20件)の順で地域別にあげてみました。

北海道・東北=101件、0件、5件
関東=299件、23件、7件
中部=143件、0件、5件
近畿=12件、0件、1件
中国=5件、0件、1件
四国=5件、0件、1件
九州・沖縄=6件、1件、0件

「やむら」の系統(「がいむら」も含む)は、圧倒的に関東で強く、次いで東北、中部で、関西以西では非常に少ないことがわかります。

ところで、中部は「たにむら」「だにむら」も「やむら」もともに数多くみられる地域(双方の中間地域)なのですが、これを県別にみると、かなり偏った分布であることが判明します。

以下、「たにむら」と「だにむら」の合計ヒット数(左側)と「やむら」のヒット数(右側)を県別に記します。

新潟県=60件、31件
富山県=85件、4件
石川県=78件、3件
福井県=107件、7件
山梨県=1件、3件
長野県=1件、8件
岐阜県=40件、1件
静岡県=2件、49件
愛知県=4件、37件

「たにむら」「だにむら」と「やむら」の比率でみると、静岡・愛知は北海道・東北、関東系、逆に富山、石川、福井、岐阜は関西以西系であることが判明します。新潟は(県内の地域偏差もあると思われますが)双方の混淆地域といえるでしょう。

不思議なことですが、山国で渓谷も数多く存在する長野、山梨では「たにむら」「だにむら」も「やむら」もヒットは僅少で、「~谷村」と表記される村落自体が非常に少ないことも判明しました。

甲信地方では非常に珍しい「~たに」地名の山梨県大月市の富浜町宮谷(みやたに)地区

長野、山梨での「~谷村」の少なさに関して、「地名用語語源辞典」(楠原佑介・溝手理太郎編、東京堂出版、昭和58年)の「たに〔谷、渓、谿〕」の項目の解説欄には次のような記述がみえます。

この用語について、東日本系のサハ(沢)と対応する西日本系の用語という論が盛んであるが、そのことがかなり顕著にいえるのは支谷名、支流名の地名語尾として使われるケースのみであろう。集落名、耕地名(字)などの場合は、両方の用語とも多少の密度の違いはあるにしても全国的に使われていると見たほうがよいと思われる。

「~谷村」(西日本系)に対応して「~沢村」の用法が見られるとの指摘です。そこで、「日本歴史地名大系」で「沢村」の見出し検索(後方一致)をかけてみました。結果は1398件がヒット。地域別の内訳は以下のとおりです。

北海道・東北=574件
関東=279件
中部=435件
近畿=61件
中国=25件
四国=15件
九州・沖縄=9件

「~沢」地名は、「地名用語語源辞典」が指摘するように、「集落名」(「江戸時代の村」地名)でいえば全国に分布するものの、その数は、圧倒的に東日本に多いことが判明します。また、中部地域の県別内訳では、

新潟県=144件
富山県=39件
石川県=13件
福井県=9件
山梨県=56件
長野県=61件
岐阜県=17件
静岡県=70件
愛知県=26件

で、(新潟県は双方とも多いのですが)「たにむら」系が優勢な北陸では少なく、「やむら」系が優勢な東海では多いことがわかります。「たにむら」系、「やむら」系ともにヒット数が少なかった長野・山梨でも、かなりのヒット件数が認められました。

渋谷はメジャーか、マイナーか、から始まった今回の考察ですが、渓谷や窪地、低地、湿地等々をあらわす「~谷」地名、「~沢」地名の分布を見る限り、「~谷」を「~たに」と読む系統の地名は西日本、「~や」と読む系統の地名は東日本、とりわけ関東に多いことが判明しました。

また、「~たに」「~や」の双方を合わせ、漢字「~谷」を使用する地名は西日本に多いのですが、それを補完するように、東日本では「~沢」地名が多く見られることも判明しました。西日本の「~たに」地名と、東日本の「~や」地名+「~沢」地名で、ちょうどバランスが取れている、といえるでしょう。

ここまでの考察からいえば、「渋谷(しぶや)」は関東ローカルの王道を行く地名、といえるのではないでしょうか。

(この稿終わり)