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第38回 「小日向」は「こ・び・な・た」だの巻(3)

2010年04月02日

先回は、平成14年(2002)12月3日に文京区総務区民委員会で交わされた「小日向」問題の質疑において、答弁した学務課長、区民課長、区長の発言に筆者は「異議あり」、というところまで述べた。
そこで、今回は筆者の「異議」の内容について記したいと思う。
まず、学務課長の答弁についての異議。学務課長は小日向台町小学校が、創立時(明治37年に小石川第二尋常小学校として開校し、同41年に小日向台町尋常小学校と改称)に「こびなた」であったことは認めている。しかし、町名を改称した昭和41年以降は「こひなた」が定着した、と主張している。

筆者は小日向台町小学校からさほど遠くないところに長年住んでいて、平成10年頃に、小日向台町小学校の前を通った折、「こびなただいまち」と平仮名で記された学校関係のプレートか何かを見た記憶がある。小学校の近くにあった信号機にローマ字で「Kohinata」と書いてあったので「エッ」と思い、でも、小学校は「こびなた」だったので「ホッ」としたことが、印象に残っている(写真でも撮っておけばよかった)。

学務課長は「こびなた」の呼称を遠い昔(明治の終わり頃)に持っていきたいようだが、筆者の記憶が正しければ、10年くらい前でも「こびなた」が通用していた。先回の区長の答弁によると、小日向問題が表面化したのは昭和61年(1986)頃というから、それ以後、校歌の歌詞を「こひなた」と発音するよう指導を徹底させるなど、「こひなた」定着に向けて、あれこれ画策した節があるのだ。小日向問題が表面化するより前の在校生たち(現在の30代後半以上)に校歌を歌わせれば、たぶん、「ここ《こびなた》の台町に、そびゆる我等の学校は」と歌うと思う。

次に、区民課長に異議あり。じつは、区民課長は12月3日の総務区民委員会の前にも(10月7日「決算審査特別委員会」)、次のような発言をしている。
区民課長=『それで、地域の方々とそのときもいろいろな話をいたしまして、茨城県のが「いばらぎ」、「いばらき」など全国的にはあるんだというような話もいたしまして。今、委員御指摘の「こびなただいまち」と呼ばせていただきたいんだという形の言い方はされてませんでしたが、地域の方々がいろいろな思いで今までの長年の読み方で言っていただくのは、私どもがそれをとがめるとかいうことはいたしてございませんよというような話で、いろいろ御説明して、一定理解いただいたと思ってございます』(文京区ホーム・ページより)

この発言のどこが問題なのか。例として出した「茨城」が不適切ということだ。区民課長は、「茨城」県は正式には「いばらき(ibaraki)」だが、実際には地元の人々は「いばらぎ(ibaragi)」と濁っている人が多いじゃないか、だから、小日向も同様に、地元で「こびなた」といっていても、それとは別に正式登録を「こひなた」とし、学校などでは正式登録の「こひなた」という発音を教え込んでもいいじゃないか、と主張しているのだ。

茨城県は明治4年(1871)に行われた県統廃合の結果生まれた県名。明治8年には新治にいはり県と千葉県の一部を編入して、ほぼ現在の茨城県域となった。県名の「茨城」は県都水戸みとが所在する郡の名称である「茨城郡」から採用している。しかし、「茨城」はあくまでも郡名であって、実際に人々が住んでいる土地を明示する地名(町名・大字)ではないのである。これに対して、小日向は実際に人々が住んでいる土地の名前(町名・大字)である。つまり、同じ地名でも、直接比較することはできないものだ。区民課長は巧妙に問題点のレベルをずらしている。

区民課長がわざわざ取り上げた「茨城」問題だが、これには、もう一つオチがある。先に茨城県の県名は茨城郡という郡名から採用した、と記した。茨城郡は古代以来の郡名で、古代茨城郡の中心は茨城郷である。郷は郡を構成する地名で、古代の地名は、国名-郡名-郷名という構造になる。これは現在の県名-市・町・村名-大字・町名という区分にほぼ相当する。ただし、古代の郷は、現在の町名・大字よりは、もう少し広域だが。

ところで、茨城県には県名の淵源となった上述の古代茨城郷を継承する地名がある。現在の茨城県石岡いしおか市「茨城」である。ただし、この「茨城」の読みは「ばらき」で、「いばらき」や「いばらぎ」ではない。だから、区民課長が茨城問題を持ち出したとき、「でも、人々が暮らしている土地の地名である《茨城》の読みを、県名に合わせて《いばらき》にしよう、などという馬鹿げた強制はしていませんネ」とでも、切り替えしてやればよかったのだ。

茨城県の県名の淵源となった石岡市の「茨城」地区。ただし、読みは「ばらき」

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区長の発言は、前2者に比べれば、さすがにしっかりとしている。少なくとも、昭和41年の住居表示整備の直前までは、「こびなた」が優勢であった可能性も認めているのだ。学務課長のように、いきなり明治の終わり頃まで話をワープさせたり、区民課長のようにレベルの違う地名と比較して煙に巻こう、という姿勢は見られない。ただし、結論は3者ともに一致している。「こひなた」から「こびなた」への変更はしない、といことだ。たかが、濁点を一つ付けるだけなのだが、経費が相当かかるようである。だから、学務課長も区民課長も、住居表示整備当時に「こびなた」という発音が存在していたことには触れないでおこう、という立場を崩さないのだ。その点、区長はもう少し踏み込んだ発言が可能、ということなのだろう。

ところで、先回、区長の答弁を引いたなかで、「(中略)」として扱ったところに、一つ気になる発言が含まれていた。それは
『ですから、「こひなた」という呼称も決して誤りとは言えない。江戸砂子に「こひなた」と平仮名で書いてあるから「こひなた」だという説もあるけれども、当時ルビを振らない時代でしたから、それが正当なものとも言いがたいところもありますし』
という発言である。区長は否定的にとらえているのだが、「こびなた」「こひなた」を検討するうえで、区側の誰かが、『江戸砂子えどすなご』を持ち出した形跡があるのだ。

『江戸砂子』は享保17年(1732)に刊行された江戸の地誌。著者は菊岡きくおか沾凉せんりょう。良質な江戸の地誌としては比較的早期に成立したもので、江戸を調べるには欠かせない史料の一つである。ただし、現在のような振り仮名表記が確定したのは、近代印刷技術が導入された明治期以降のことであり、『江戸砂子』の振り仮名をもってして、当時の地名の読みを確定することはできない。

確かに、『江戸砂子』には「こひなた」という仮名表記がみられ(筆者がざっと見た限り、1箇所だけだと思う)、あとは「小日向」の漢字表記だけで、「こびなた」の表記はない。しかし、同書では、「おばあちゃんの原宿」として名高い豊島区巣鴨すがもについては「すかも」「すがも」「巣鴨」が混在し、成田空港へ向かうスカイライナーの連絡駅として知られる日暮里にっぽり駅の由来となった荒川あらかわ区日暮里は「につほり」「にっほり」「日暮里」が混在しているのだ。こういった、振り仮名表記の確定していない古典籍を持ち出してまで「こひなた」という表記が正しいのだ、ということを主張したことのある区側の姿勢こそ、大いに問題があると思うのだが。
続きは次回に。